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【R6葛高018・orange】オレンジ色の風に乗せて(皐月)~科学者とエンジニアに敬意と感謝を~

 今年になって、高校時代に同じ部活動だった友人達とLINEのグループを作った。メンバーの一人が声をかけてくれたのが切っ掛けだった。ここ数年は会うこともなかったため、このグループができ、お互いの近況をくだけた言葉でやりとりできることは、とてもありがたかった。

 ところでスマホ!私が高校生だった頃には想像すらできなかったツールである。現代のスマホに匹敵する当時の最先端機器を挙げるなら携帯音楽プレーヤだろうか。当時、そいつを学生服の内ポケに忍ばせイヤホンで音楽を聴くことは、ナウい男子高校生の証、と私は勝手に思っていた。もちろん通信機能などはなく、シンプルに音楽を聴くだけのものだったため、スマホのように友達と連絡を取る手段にはなり得なかった。友達との連絡方法は、家の電話か公衆電話または手紙くらいしかなかった。

 通信機器にフォーカスすると、その進化は物凄かった。当時から現在に至るまで、次々と新しい機器が生まれ、そして役目を終えたものは姿を消していった。振り返ると、私が高校を卒業するころ留守番電話が登場した。大学へ進学し一人暮らしをはじめたその部屋の中で、新品の留守番電話が存在感を放っていた。そして間もなく、世の中にポケベルが出回った。歌詞の中にポケベルが現れたのはこの頃。ポーケーベールがー・・・♪ ポケベルの小さな液晶画面に数桁の数字を表示できる機能は、当時の高校生に受け入れられ、休み時間に校舎内の公衆電話の前に行列ができることもあった。

 1052167(どこにいる?)、428(渋谷)なんて。公衆電話のダイヤルボタンを勢いよくパチパチと入力する様子は今でも記憶に残っているが、そうしたポケベルをめぐる一連の行為は、生徒指導上の問題にもなった。それから数年して携帯電話が登場した。カメラ付きの携帯電話が登場すると、「写メ」という言葉も生まれた。高校生の携帯電話所有者は年々増加した。でも、今のように通信環境が整っていなかったため、通話可能エリアが限られ、メールでやり取りできる情報は容量の軽いテキストデータが中心だった。田舎の山の中にも携帯電話用の電波塔が次々と設置され、エリア拡大、通信速度の高速化、端末のモデルチェンジが繰り返され、次々と新たな技術が投入され、サービスも充実していった。そして2007年、スマホが世の中に普及し始めた。

 さて、私は、2013年にスマートフォンを初めて購入し、LINEも使用するようになった。LINEの使用頻度は週に数回程度の極めてささやかなものであったが、そのような中、今年になってあのグループができたのである。使用頻度の増加にはつながらなかったものの、やはり、高校時代の仲間は自分にとって特別な存在だった。長い時を隔ててはいるものの、当時と変わらぬ自然な付き合いができている。現代のSNSが当時あったなら私の高校生活はどうなっていたのだろうか、なんて考えたりもする。

 SNSは便利さがある一方で、他人の心を傷つけてしまったり、自身の生活リズムを乱したりする人がいるなど、問題点も指摘されている。私は、スマホを含め科学技術の粋を集めて作り出されたモノたちを、その誕生に関わった、これまでの多くの科学者とエンジニアに敬意を表するとともに、感謝の気持ちをもって大切に正しく使わせていただきたいと考えている。

 とは言え、あのグループでは、メッセージの中に「\(*^o^)♪」や、私のコメントの特徴でもあるが、伝えたいことを全て盛り込んだ3行から5行の長文?が随所に登場する。巷で言われているおじさん構文だらけの、Z世代から見ればイタイやり取りが繰り広げられているのである。

書き人知らず


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