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【R5葛高200・orange】オレンジ色の風に乗せて(師走)~12月の約束~

 ひと月ほど前、中学校の同級会があった。地元にいる友人とはよく会うのだが、故郷を遠く離れて暮らす旧友とは、卒業して以来、実に45年ぶりの再会となった。当日の午前9時前の東海道新幹線で新大阪を出発して東北新幹線に乗り継ぎ、午後3時過ぎには会場に到着できたと話す旧友もいて、今から五十数年前のことを思い出した。

 4、5歳だったと思う。当時、東京に住む親戚の結婚披露宴に家族が参加することを聞きつけ、新しい玩具を買って貰える滅多にないチャンスだとの魂胆を隠し、「大人しくするから、東京に連れて行ってくれ。」と説得し、無理に付いていった。特急列車で向かったのだが、7時間位かかったであろう東京までの道のりは退屈そのもので、付いて来たことを悔やむしかなかった。悪い事に、現地で密かな企みが発覚し、目的は果たせなかったのだ。

 それから時が経ち、昭和57(1982)年に東北新幹線が開業して40年余りが過ぎた今、東京盛岡間は片道2時間10分と日帰りが可能にまで短縮された。

 さて、同級会が始まり、あの頃の懐かしい話と笑顔に包まれた時間は、信じられない速度で駆け抜けて行った。閉会を告げるあいさつが終わると、余韻に浸るまでもなく会場スタッフはごく当たり前にドアを開放するのだが、そのドアはまるで、再入場不可の、それぞれを待つ現実世界に引き戻す吸引口にしか見えなかった。会場内のテーブル席からドアを出るまでの僅かな時間、別れを惜しみながら「また会おう。」とか、「来年もまた。」と更なる再開を約束し合あい、「今度電話するから。」と連絡先を交換する姿がそこかしこにあった。にこやかな表情で「また」などと固く握手などの後は、踵を返して外へ出る。誰もがいつもの表情を浮かべ、それぞれを待つ逃れられない現実へと再び戻らなくてはならないのだ。

 一昔前に比べ今は、手紙や電話、ファクスに加え、メール、SNSなど、便利で手軽な通信手段が身近にある。しかし、遠く離れた場所でお互い生活し、電話やメールを普段から頻繁に交わしていても、安くはない旅行代金をかけて懐かしい人に会いたくなる。直接会って、相手の表情を見ながら話をしたくなる。

 卒業生が、進学や就職でここを遠く離れても、帰省休みなどを利用し、お世話になった先生や部活で一緒に汗を流した後輩に、会うために来る場面を何度も見た。久しぶりの再会を果たした瞬間、離れていた時間はかつての時間軸に集束される。それは、どんなに年を重ねても意識することなく、あの頃の先生と生徒に戻る。会っていなかった時間を埋めるように、互いの現況について表情豊かに、時には転がるような笑い声を立てて語り合う。時には、食べてもらいたくて、少ない小遣いを工面して買ったのであろう手土産を下げて。「これどうぞ」と言う卒業生も、受け取る先生も笑顔でいっぱいだ。楽しい時間は過ぎ、帰り支度も済んだ頃、「元気で。また、会おう。」、「先生もお元気で。また来年。」などと再会を約束するが、いつ叶うか、本当に叶うか、誰もわからない。しかし、再会を誓うということは、それぞれの人生の明日を明るく照らす光にも、明日を生きる希望にもなり得るからではないかと思う。

 いつの間にかクリスマス・ソングがテレビでも流れ、街では意匠を凝らしたイルミネーションが夜景に彩を添えている。重いコートに身を包み、背を丸めて家路を急ぐ凍て付く夜に、ひと際美しく、眩い。近くの商店の店先には、裸電球に照らされて、買い手を待つ正月飾りが並んでいた。「来年こそ良い年に。」と願い、年の暮を迎える。久しぶりに故郷に戻る、旧友としばらくぶりに会う、お世話になった人に挨拶するなど、大切な人と会う機会が増える。別れ際にきっと言うだろう。「来年、また会いましょう」と。 「春待月」、陰暦12月の異称だ。寒さが一層厳しくなる時期だが、冬至も過ぎ確実に春に向かいつつある。暖かな春の日差しが降り注ぐ日を心待ちにしながら、12月に交わす再会の約束を生きる希望に変えて、冬の寒さに立ち向かうのだ。一つとして同じものはない12月の約束。希望に溢れる新年となることを、春待月に思う。

書き人知らず


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