【R6葛高119・orange】オレンジ色の風に乗せて(長月)~祭りの秋~
ここ岩手の県北は、暑さが厳しい夏であったとしても、この時期になると暑さは落ち着き、朝晩と日中の気温差が大きくなることで木々の葉は深い緑から黄緑色へとその姿を徐々に変えてゆく。「四季のうちで一番好きな季節は?」の問いにおいて、秋は上位の季節でもあるらしい。そんな秋には「○〇の秋」という表現がよく使われる。〇の中に入る言葉として読書、スポーツ、食欲、芸術などが一般的なところだろうか。私にとって今年の9月は「祭りの秋」となった。
スポーツとの関わり方について、スポーツ庁のWEB広報マガジンには、「スポーツは、『する』『みる』『ささえる』といろいろな形で、誰もが気軽に楽しめるもの」とまとめられている。この「スポーツ」を「祭り」に置き換えることで、私が「祭りの秋」とした理由が伝えられるかもしれない。
私のこれまでの経験をこの3つの視点で振り返ったとき、子供の頃に地元の祭りに参加した「する」の経験や、さんさ踊りやねぶたなどを見に行った「みる」の経験はあったものの、「ささえる」の経験は思いあたらなかったのである。今回祭りに参加し、組団の組長さんをはじめ、長年「組」を支えてこられた「ささえる」側の方々と行動を共にし、祭りへの思いや昔話などを聞く機会に恵まれ、「する」「みる」だけでは到底得ることのできなかった多くの気づきや納得があったことで、とても充実した時間を過ごすことができたと感じている。くずまき秋まつりの特徴ともいえる山車の運行の際に披露される踊りは、いつ、どのような経緯で始まったのかという話や、山車組の役割分担の中にある司会者の過去のエピソードなど、大変興味深く聞かせていただいた。
祭りの最終日の夜、車庫に入った山車の前で「音頭あげ」を行い、三本締めで祭りが締めくくられた。その直後、少年二人が私の隣にいた「音頭あげ」をした大先輩のところに駆け寄り、「『音頭上げの扇子(祭りの期間中に「音頭あげ」で使用した、歌詞などが筆で書かれた扇子)』をください」と欲しくてたまらないといった様子でお願いした。その扇子は少年たちへと手渡された。この祭り期間に幾度となく行われた「音頭あげ」が、少年らの目にかっこよく映っていた証である。少年たちよ、しばらくは「する」祭りだろうが、いずれは祭りを「ささえる」存在になるんだぞ。大切な場面に立ち会えたという充実感に胸が満たされた。
祭りの秋、今月末は葛高祭。こちらは、いつの時代も祭りの主役は、その年の葛高生。今年も高校生のアイディアと感性で企画をし、ご来場の皆様にも楽しんでいただけるよう準備を進めています。皆様のお越しをお待ちしています。
書き人知らず