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【R6葛高228・orange】オレンジ色の風に乗せて(如月)~もし自分がそこにいたら、どう考え行動するか~

 東日本大震災津波から14年が経過しようとしている。今月、南三陸町や気仙沼市、岩手県沿岸南部を訪れる機会があり、震災遺構や復興祈念公園を訪れたり、被災地の方々の今の声を聞いたりすることができた。

 「南三陸311メモリアル」では、住民の証言映像を見た後で、「もし自分がそこにいたら、どう考え行動するか」をまわりの人と対話しながら考えるというプログラムに参加した。証言映像の中に、震災当時高校生だった男性が震災当日の行動を振り返る場面があった。男性は、学校の敷地に押し寄せる津波から何とか避難すると同時に、一緒に避難していた同じ部活動の友人に津波の様子を見張ってもらいながら、津波と陸の境界で、手元のバックの中に入っていたジャージを結んで繋げ紐状にし、救助活動をしたというものであった。もし、私が教員としてその場に居合わせたなら、私は、その高校生に救助活動を続けさせる、又は一緒に救助活動をすることができたであろうか。津波に、ここまでは安全でここから先は危険という明確な線は存在しない。信頼できる友人が見張っていたとしても、自然の猛威は想定を軽々と越えてくる。救助している男子生徒らの安全は、まだ確保されているとは言えないのだ。失われるかもしれない命と救えるかもしれない命の両方が自分の目の前にあるとき、もし自分がそこにいたら、どう考えどう行動していたか。

「津波てんでんこ」
 東日本大震災津波の後、新聞やテレビなどでよく耳にするようになった言葉。私も震災後に初めて聞いた言葉だったが、とてもすんなりと津波の教訓として私の中に定着した言葉であった。しかし今月、沿岸部の高校生の探究発表会に参加したとき、あるグループが震災の伝承の在り方をテーマとした探究の発表において、被災した方々の話を聞く中で、「津波てんでんこ」という言葉に疑問を感じたというのである。自分は逃げて助かった。それで本当によいのかと。私は、「津波てんでんこ」ということばをどう解釈するかの問題ではないかと思った。同時に、「津波でんでんこ」を正しく理解すれば、この言葉を受け入れられる、とも思った。その時、会場のご年配の男性が発言した。『「津波てんでんこ」という言葉をどういう言葉だと考えているのか』という質問であった。私は、やはりそこだよな、と思った。しかし、男性の発言は続いた。「『津波てんでんこ』そのあとに来るのは後悔しかない。私は兄と母親を救うことができなかった」と。
 「津波てんでんこ」の言葉のあとに、まったく思いが至っていなかった自分に気づいた。


 岩手県に住む私たちは、「日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震」と、同地震に関連する「北海道・三陸沖後発地震注意情報」について下記リンクから必ず確認しておこう。

 岩手県外出身の山村生の皆さんは出身地も確認を、そして、進学や就職で4月から新生活をはじめる皆さんも確認を忘れずに。なお、地震以外の災害についても、市町村のハザードマップを各自治体のホームページで必ず確認しておこう。

 ※発生予測確率は、地震調査研究推進本部による(平成29年1月時点)

内閣府防災情報ページより

 「もし自分がそこにいたら、どう考え行動するか」というテーマが如何に重く難しいことであるか、考えさせられた2月。地震と津波は必ず繰り返しやってくる。命を守るための準備を、一人ひとりが本気で考え行動していかなければならない。「みんなの命が守られる津波てんでんこ」でなければならないのだ。

書き人知らず


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