
【R5葛高172・orange】オレンジ色の風に乗せて(霜月)~秋の忘れ物~
日本中いや世界でも記録的な暑さの夏が、いつの間にか木々が色づく秋に変わり、雪の便りも届くようになった。着実に冬に向かっている。11月の寂しげな風景を見る度に、なぜか、ある詩を思い出す。

帽 子 西條八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね。
紺の脚絆 に手甲をした。
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでしょう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでしょうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは
あの谷間に、静かに雪がつもっているでしょう。
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と
その裏に僕が書いた
Y・S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
詩人であり、作詞家でもあった西條八十が書いたこの詩について、帽子に込められた意味などを以前から調べようと思っていたが、この秋は、探偵小説を読み返すことに現を抜かし、手が回らなかった。
私の秋の忘れ物。探し物は見つからないかも知れないが、近いうちに、探してみたいと思う。
凛とした空気と白い静寂の支配する季節が来たとしても。
書き人知らず