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【R6葛高038・orange】オレンジ色の風に乗せて(水無月)~馬渕川~

 新緑の季節から水無月へ。

 鮮やかな緑に覆われた葛巻町の山々は、雨に濡れて、より一層深い緑へと色を変える。山に降った雨は、いくつもの小さな沢を作り、やがて馬渕川に合流するのである。馬渕川は、岩手県下閉伊郡と岩手郡の境にある袖山(標高1,215m)にその源を発し、岩手県の県北を流れて青森県に至り、八戸市を貫流して太平洋に注いでいる、流路延長142kmの一級河川である。この長さは、岩手県を流れる川としては北上川に次ぐ2番目の長さとなっている。

マベツ川

 さて、「馬渕川」の読み方について、皆さんはご存じだろうか。私が中高校生のころの記憶では、マベチ、マブチ(こういう苗字の知人がいた)、マベツやマブヅ(大人はずいぶんと訛ってるな!と思って聞いていた)など、三、四種類くらいの呼び方があった。そして、その答えはマベチであると誰かに教わった。
 最近、ある本棚に並んでいた葛巻町誌第1巻から第4巻が目に留まり、引きつけられるように開いてみると、『馬渕川の名称』について詳述されたところがあった。あまりにも興味深い内容だったので、ここに紹介したいと思う。

 「マベチ川か、マベツ川か」・・・これについては一時期に論議された地方もあったようだが、葛巻町では最近になって「マベチ」と発音する人が多くなった。これは、校歌などの歌詞にわざわざ「ベチ」とルビをつけたから、という単純な論拠である。

(中略)

 当地方の言葉は濁音が多いのが特徴といえるが、戦前も現在も日常会話においては「マベヅ・マブヅ」と発音する人が圧倒的に多い。 (中略) 当初、葛巻の識者が「マベチが正しい」と主張したのは、「葛巻ではチをツと発音するからマベチが正しい」という全く単純明快な論拠であったが、いつのまにか「アイヌ語のマペチであって、沼の川=蒲のある沼地から静かに水の湧出する川である」と変化し、前の説には全く触れていない。

 (中略)

 これについて元江刈村長の中野清見氏は一戸文化協会の機関誌『いちのへ』第8号で次のように反論している。

(概略)

 県北を代表する馬渕川は、現在『マベチ川』と呼ばれているが、この呼び方は、戦後八戸市の一部の人々が、なまはんかな知識で呼びはじめ、徐々に広まって現在に至っているもので、『マベツ川』と呼ぶのが正しい。馬渕川は本来は「マベツ」というアイヌ語で大きい川を意味した。このマベツに川がついてマベツ川と転化し、馬渕川という漢字が充当された。その後、大正時代から馬渕川は、上流、下流を問わず日本流に「マブチ川」と呼ばれてきた。それが戦後になって馬渕川の下流の八戸市の一部文化人が、馬渕川のマブチは「苫米地(トマベチ)のベチが転化したものでアイヌ語で湿地の意味である」と誤解釈してマベチ川と呼ぶようになった。・・・
昔、馬渕川の上流に草相撲の横綱に「まべつ川」という人がいたし、同川の源流に近いところに「まべつ」という集落がある。何よりも二戸市が生んだ世界的物理学者、田中舘愛橘博士がローマ字で「まべつがわ ふるきながれを せきとめて やみじをこらす よとなりにけり」という墨書の短歌を残している・・・。

葛巻町誌第1巻より(一部を抜粋) 昭和62年6月25日発行 
馬渕川の源流

 今に伝わる物事が本当かどうか気になり、古い文献を様々調べていったとき、最終的に「複数の説明がなされ、所説ある」という結論に行きつくことはよくあること。馬渕川の読み方についても、馬渕川流域の市町村を中心に文献調査をしたとして、その結論に至る可能性は高い。ならば、馬渕川の源流がある葛巻町の文献に記されていることが最有力と考えるのは自然なこと。今後は、馬渕川の話題が出たときは、「『マベツ川』と呼ぶのが正しいらしいよ」と一言添えてみようか。

書き人知らず


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