【R5葛高213・orange】オレンジ色の風に乗せて(睦月)~月日は百代の過客にして~
江戸時代の俳諧師、松尾芭蕉の『おくの細道』の序文、
(筆者訳;月日は永遠の旅人で、来ては過ぎ去る年もまた旅人なのだ。)と、人生を旅に例えたこの書き出しはあまりに有名だ。読者を哲学的思索に誘う文章にも思える。
西行法師が没して500回忌に当たる1689(元禄2)年3月27日、弟子の曾良を連れて江戸を旅立ち、本県の平泉にも立ち寄って日本海側へ抜け、象潟まで北上した後南下、敦賀を経て8月21日に大垣に到着するまでの約2,400kmを、5カ月弱かけて歌枕や名所旧跡を訪ねて歩き、句を詠んだ旅だ。
当然のことながら、芭蕉が旅した江戸時代には、現代のような交通機関は発達しておらず、電話もあるわけもなく、正確な地図や道路標識もなかった。かの伊能忠敬が、日本全土を測量し始めたのは1800(寛政12)年からなのだ。それを111年も遡ることになる。
昔の旅は、過酷で苦労が絶えないものだったことは想像に難くない。だからこそ、旅に出て、「苦労」や「経験」を積ませることが後の人生にとって大切なのだからとの「可愛い子には旅をさせよ」ということばが言い伝えられているのだろう。同種のことばは世界のあちこちにあるらしい。
年が明けたから、芭蕉流に言うなれば、人生の旅路を一歩進めたということになろう。なぜ、芭蕉は人生を旅に例えたのか。芭蕉の作品をろくに読んだこともない自分が言うのも烏滸がましいのだが、「出会い」の大切さではないかと思えてならない。歌枕の風景、その土地の人、風、空気、日の光・・・。
一期一会(いちごいちえ)ということばがある。ウィキペディアでは、『一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う言葉。』とある。あらゆるものとの出会い、今、この時間の大切さ。
南米大陸をバイクで友人と旅したことで、その後の人生に大きな影響を受けた人にエルネスト・ゲバラがいる。詳細は省くが、彼は次のように言っていた。「人間はダイヤモンドだ。ダイヤモンドを磨くのはダイヤモンドだ。人間を磨くのにも人間とコミュニケーションをとるしかないんだ。」と。
令和6年、新たな旅の始まり。オレンジ色の風に吹かれながら、旅に出るか。
書き人知らず