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【R5葛高098・orange】オレンジ色の風に乗せて(葉月)~いつかの夏~

 眩しい青空が広がる夏が好きだ。小学校時代の夏休みは、毎日、日が沈む頃まで友だちと遊んで楽しかった感情が残っているせいなのか、夏が来ると今でも楽しい気分になる。小学校を卒業して50年弱が経つ。ほとんどは忘却の彼方に行ってしまったが、当時のことで、強烈に覚えていることもある。小学6年のことだった。夏休みの宿題だった自由工作や自由研究を、クラス全員の前で一人ずつ発表する機会があった。自分を含めたクラスのほとんどが何を発表したか一切覚えていないが、友人のA君のだけは今でも忘れていない。確か、『河童に教わった風邪薬の作り方』だったと思う。A君は遠くから列車で通学していたが、多少の距離は物ともしない私は、A君の家にも遊びに行ったのだ。A君の家の近くを大きな川が流れている。A君の先祖の話だ。ある時、川に行くと、衰弱した河童が流れてきたそうだ。弱っていた河童を助け上げ、家に連れていって看病したところ、数日ですっかり回復したそうだ。助けてくれたお礼に、河童は風邪の妙薬をA君の先祖に教えたそうだ。「のどが痛い」、「熱がある」時、シオカラトンボを乾燥させ、粉末にしたものを服用するとすぐに治るのだという。A君の家では今でもそれを飲んでいるとの説明は俄かに信じ難かったが、最近、ふとしたきっかけで、アキアカネを乾燥させて粉末したものを風邪の民間薬として利用している地域があることを知った。

ここを流れて来たのだろうか

 今から5年前の8月、不思議な体験をした。民俗学に興味を持つ次男が帰省したのだが、開口一番、河童に関する特別展を見たいからT市立博物館へ連れて行ってくれと言うのだ。自分も興味が無い訳ではないので、墓参りを済ませてから二人で向かった。暑い夏の午後だった。午後2時過ぎに到着し、早速、特別展会場に足を運んだ。空調の効いた館内は心地良く、窓から見える建物群は照り付ける太陽を浴びて眩しかった。展示ケース前の解説板を真剣に見入っていた私たちに、「ねえ、河童ってどこにいるの。」と突然声がしたので、あまりに不意を突かれて驚いた私たちは、声のする方へクルっと後ろを振り向くと、白いレースで編まれた帽子を目深に被り、白いブラウスを羽織った上に、帽子と同じ模様で編まれたやはり白いレースのジャンパースカートを着て、これまた白い靴下と白い革靴を履いた女の子がいつの間に私たちの後ろに立っていた。5,6歳だろうか。顔や腕は、濃い茶色だったので、プールで毎日泳いだから日焼けしたんだろうと思った。全身白一色の出で立ちはあまり見たことがなく、最近の子どもというより、昭和からタイムスリップしたのではと思わざるを得なかった。質問の答えだが、子どもの夢を壊さずに言わねばと思い、河童伝説のある川の方角を指さし、「多分、あっちじゃないかな、いるのは。」と答えたものの、内心ではそんな訳はないだろうと思っていた。「ふーん」と言ったままその子は私たちからスーッと離れたので、近くにいるだろう家の人の側に行ったのだろうと思った。次男と「何だったんだろう、あの子は。」、「どこに行った。」、「あんな服、あまり見ないよな」などと会話した数秒の間に、10m以上離れているだろう企画展の出口付近にその子が一人でいるではないか。(えぇ!いつの間に、どうやってあそこまで?)と目の前のことが呑み込めないまま展示を見終え、帰路に就いたのだった。あれから数年経つが、あの子の顔は忘れていない。

『真夏の夜の夢』ならぬ、真夏の昼の夢だったのか。

書き人知らず 


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